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【compass-log】第4063号〜今まで「ない」と思って「ある」に目を向けずに、その「ある」をただただ活かすチカラがなかっただけ〜


先日夜に、「富士すばるランド」で開催されている「ナイトウォーク」に行ってきましたヨ。

おそらく、県外のヒト、いや県内のヒトにも富士山麓の遊園地と言えば、「FUJI○○○○」や「○○じゃないか」のあるあっちの方が有名なのは事実。

しかし、最近は「富士すばるランド」はあなどれなくなってきていますw

今回の「ナイトウォーク」だけでなく、先日開催されていたBEAMS×AMUSEの「JOYNT MARKET」や「くたくたパーク」などもありました。

今夏は週末には映画も上映したり、デイキャンプ、1DAYキャンプなどもできるようになっています。

なんだかんだで、ワタシ自身、家族の遠足も含めて今年に入って7~8回くらい行ったかな(月一ペース)

がしかし、有名なあっちの方には打ち合わせと勉強会で1回行ったくらい・・・(昔はよく行っていた)

AMUSEが河口湖に本社移転されてからですね。AMUSE×富士すばるランドという構造で、この街は益々オモシロくなってきています。

時折、AMUSEの色々な方ともお仕事も一緒にさせて頂きますが、一番最初に言われた「この街はあるのにもったいない」と言われたことがとても印象的で刺さっている。

「この街は富士山や自然、環境というアクティビティが十分あるのに生かせていない」という意味。

まさにワタシの「ない」が「ある」に変わった瞬間でしたね。

そうですよ。この街は「ない」のではなく「ある」のです。富士山がまさにその象徴でした。

富士山だってワタシにとっては、もはや「ない」ものになっていたところでしたが、「ある」と気づいて富士登山含めて色々な思いが生まれています。

富士すばるランドだって、今まで「あった」ものを工夫して活かすと、こんなにも楽しく人を惹きつけるものに成るものです。

結局のところ、ワタシ自信は今まで「ない」と思って「ある」に目を向けずに、その「ある」をただただ活かすチカラがなかっただけ。

ようやっとこ、まずは「ある」ということに気づけたので、これからはAMUSEや富士すばるランドを見習って、「ある(手中の鳥)」を活かすことに目と意識と力を注いでいきたいと思います。

と、「ナイトウォーク」の感想を書いていませんでしたが、「控えめに言ってサイコーでした」「夜の遊園地ってちょっと怖くて不思議だけどめちゃくちゃ楽しく感動もあり」という語彙力のない月並みな感想・・・

ってか、「行ってみないとわからないですよ」というハナシなので、行ってみてくださいw

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【compass-log】第4062号〜「100人で食べたいな、富士山の上でおにぎりを」って歌われているけれども、今回は一人山頂(剣ヶ峰)でおにぎりを握って食べてみましたヨ〜


「100人で食べたいな、富士山の上でおにぎりを」なんて歌がありますね。

この半年ほど、この歌が何度も勝手に頭のなかで流れており、どうも引っ掛かっている。

とはいえ、「さすがに100人で富士山の上でおにぎりを食べることは至難の業か」と思いましたが、富士登山をしてみて「やろうと思えばできなくもなさそうだな」と思ったものです。

山頂には悪天候にもかかわらずたくさんのヒトがいて、天気がよかったら軽く100人はいそうだなと思いました。

また、そんな思いをもちながら登山したものですから、富士山山頂、それも本当の山頂3776mの剣ヶ峰にて、山小屋でもらったご飯を使って自らおにぎりを握りましたw

その直前に山頂にて900円の日清カップヌードルを食べてしまったものだから、「もう固形物入らない」と思いつつも頑張ってほおばる。

「100人で食べたいな、富士山の上でおにぎりを」とまではいかなかったですが、1人で富士山の上で、それも剣ヶ峰でおにぎりを握って食べました。

きっとこんなバカなことやったことあるヒトは、案外たくさんいそうだなと思ったところ。

でも、そこに個人的に意味を感じたし、「100人で食べたいな、富士山の上でおにぎりを」は叶わなくても、「別の方法で目標を叶えられそうだ」と予感が生まれました。

もはや「予感」ではなく、少しずつ「実感」に近づいてきているし、いずれ「確信」にまでもっていきたい。

「何のためにそんなことをやるのか」と言われても、しっかり応えられるものもある(ここでは表明しないけど)し、ワタシがやる意味もあるなと。

妄想するとワクワクするんですよね。障害が多そうだけれども。

勘違いかもしれないけれどもできる気がしてやまないんですよね。おカネもかかりそうだけれども。

達成したところもかなりカラーで見えているんですよね。仲間もいるし。

ある目標は是が非でもやり遂げたい。この山を登ったらまた新たな世界が見えるはず。

期限もあり、徐々に迫ってきているので、しっかり準備して然るべきカタチで「おにぎり」を食べたいと思います。

わけわからない文章かもしれませんが、いずれ公に話せる時が来たら、この文章の伏線は回収される。はずw

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【compass-log】第4061号〜ビジネスでも人生でも富士登山でも、「早く行きたいならひとりで行け、遠くまで行きたいならみんなで行け」〜


「早く行きたいならひとりで行け、遠くまで行きたいならみんなで行け」という言葉がありますね。

誰が発した言葉なのか、どこの言葉なのか知らなかったので調べたところ、「ブルキナファソのことわざ」と出ました(諸説あり)

ビジネスでも人生でも、はたまた登山でもこの言葉が通用するのだと思うところ。

特に、富士登山をしてみてこの言葉のチカラをより強く実感したのです。

それまでは、なるべくなら早く行きたいと思っていましたし、富士登山でも意気揚々と先頭集団で登っていました。

しかし、「みんなで富士登山をしよう」となったからこそ、登頂することができましたし、ひとりでは富士登山はおろか、お鉢巡りや剣ヶ峰は行かなかったでしょう。

なぜなら富士登山当日は悪天候で麓では大雨(登山中は小康状態だったものの)でそもそも登山できるのか、というくらい。

また、山頂でも霧と風が強く、山頂のおっちゃん?からは「初心者ならやめておけ」と言われたくらいでした。

それでも、麓から登るときも「行けるところまで行ってみよう」の精神?があり、山頂でも行けるところまで行ってみようとなったのです。

ひとりだったら絶対にやめていましたが、みんながいたから行けたのは間違いないですね。

また、ペース配分においては、ワタシは初心者だったのでリーダーにお任せしながらホイホイ登っていましたが、体力面での差もあり、途中からペースがそれぞれでした。

結局先導チームと後方チームに分かれてしまいました。

先導チームとして後方チームを気にかけながらペース配分をしていましたが、あまりペースを落としすぎてゆっくり行ってしまうと、山小屋への到着が遅くなってしまい、後方チームの体力回復の時間が短くなってしまうため、やむを得ず後半チームのペースを少し引っ張るつもりでのペース配分でした。

そのあたりも、「早く行きたいならひとりで行け、遠くまで行きたいならみんなで行け」というところですね。

早く行きたいならひとりで行けばよいのですが、やっぱり皆がいたから山頂まで、お鉢巡りまで、剣ヶ峰まで行けたものですし、先導チームとして多少無理をさせてしまったものの、精神面で引っ張ることはできたかと。

とはいえ、「どうやらワタシは体力はそこそこありそうだ(まだまだ若い)」ということもわかったので、次は殿(しんがり)でも努めて、後方チームとしてフォローできそうだなと思ったところ。

正直、ビジネスや人生においては「早く行きたいならひとりで行け、遠くまで行きたいならみんなで行け」ということが腹落ちするほど理解できていませんでしたが、富士登山を経験してようやく腹落ちしたなと思ったものです。

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【compass-log】第4060号〜日本一や世界一など、極めし者だけがわかる世界、見える世界がある〜


いい加減飽きられていそうですがw、まだまだ書けそうなので富士登山ネタ書き続ける。

以前、「どんなスポーツでもビジネスでも、日本一や世界一に立った者しかわからない世界がある」という話を聞いたことがあります。

想像ですが、「日本一」や「世界一」に立った者は、なんらかしらの共通言語や共通哲学、共通経験があるのだと思いますね。

きっと、若いときから友達が遊んでいるときにトレーニングをしたり試合に臨んだり、同僚が飲んだりカラオケしたり合コンしたりしているときに勉強したりと、人知れず努力をしていることもあるでしょう。

もちろんそれだけでなく、ワタシが知らない共通言語や共通哲学、共通経験があり、そこできっとその世界に立った者しかわからない会話があるのだと思います。

そういう意味で、日本一や世界一に立った者しかわからない世界はあるはず。

同じスポーツや同じビジネスではなくとも、あくまで日本一や世界一という、極めた者だけがわかることもありそうです。

確かに、富士登山ですら、頂上まで登った者にしか、お鉢巡りをした者にしか、剣ヶ峰に立った者にしか、わからないこともあれば、見えない景色、見えない世界もあるもの。

たった富士登山と言えばそれだけですが、それだけですら、そこに立った者しかわからない世界はあるものです。

富士登山をした、お鉢巡りをした、剣ヶ峰に立ったという経験は、それを経験した者にしかわからないですし、経験したからこそ、経験した人と同じ目線で話をすることができるものです。

おそらく、日本一や世界一になったアスリートとビジネスオーナーが対談できるのは、そういうことかなと。致知なんかでよくありますよね。

ワタシなんか、まだまだそういう方々と同じ目線で、ましてや肩を並べてなんてことはできませんが、いつかそっちの世界を覗いてみたい。

あくまで、日本一や世界一という「高み」にこだわることだけでなく、逆に「深く掘っていく」ということもまた同じかなと思うところ。

富士山に登ってみて、改めて極めし者だけがわかる世界、見える世界を見てみたいと思ったものです。

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【compass-log】第4059号〜ひとつの山を登頂すると、また別の山も登ってみたいと思うのが登山でありビジネスであり人生である?〜


富士山に登ってからというもの、周りの方で富士山に登ってきたとか、インスタで登山の投稿が目に付くようになりました。

ソーシャルフィルターがそうさせているのでしょうか、それとも自分の認知がそっちにもっていかれているのでしょうか。

どちらにせよ、意識が変わったことは確かですね。

特にインスタで登山投稿が目に付くと、

「景色がよいなぁ」

「気持ちよさそうだなぁ」

「どこの山だろう」

などと立ち止まってしまようになったのです。

そうこうしていると、

「また富士山登ってみたい」とか、

「また違う山も登ってみたい」とか、

「昨日富士登山競争だったので出てみたい?」とか、

欲求や感情が自然とふつふつと沸いてきております。

勝手に沸いてくるから仕方ないですね。

「せずにはいられない」

という「状態」になっており、それが「常態」になるのも時間の問題になりつつあります。

とは言え、登山で食っていくわけではないので、あまりハマりすぎないようにとは思うところ。

昔から「凝り性」「ハマり性」「沼りやすい」という自分を知っているので、君子危うきに近寄らず?

ゴルフとかやりだしたら、やりすぎてしまいそうだとわかっているので、手を出していません。

ひとつの山を登ってみると、また違う山も登ってみたいと思うことは自然なことでしょうかね。

登山に限らず、ビジネスや人生でも同じような気がします。

ビジネスや人生においてはまだひとつの山も登頂していませんがw

まずはひとつの山を極めたいと思うところ。

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