先日クルマの中を掃除したのですが、なかなか掃除機が入っていかないところがあり、角度を変えたり、座席を前後させたりと一苦労でした。
こちら側から見ると何にもなく見えるけれども、反対側から見ると結構、ホコリやゴミが貯まっているところもありました。
反対側から見なければ、気づけなかったことですね。
加えてまた別の日に、書類をシュレッダーにかけようとし、結構な量だったので面倒だなと思いつつやろうとしたところ、「溶解ボックスをつくったから、ここに入れたらよい」と言われました。
「いつの間に溶解ボックスが」とも思いましたが、これもまた、気づかなければ無駄にシュレッダーと格闘していたことでしょう。
このように、モノゴトはどこから見るか、知っているかによって、見方や見え方、対応が変わりますね。
一方向からしか見ていないと見えないこともあり、知らないと対応できないこともあるものです。
経験や知恵、知識、教育などからつくられる視覚や感覚などの「知覚」。
本来「知覚」とは、「感覚器官を通じて、外界の事物を見分け、とらえる働き」とのことで、歯でよく言う「知覚過敏」は、それが過敏なこと。
「感覚器官を通じて、外界の事物を見分け、とらえる働き」とあるけれども、知覚を研ぎ澄ませて、あらゆる外界のモノゴトを見分け対応できるとよいですね。
これが「センス」というものなのかもしれません。
まずは、「知覚を研ぎ澄ます」という目標を掲げて、「見る」「知る」「感じる」習慣をつけるとよいですね。
ワタシは3400日以上その習慣を続けていますが、ビフォーアフターの「知覚」は全く異なっていますね。
以前に比べればよい意味で「知覚過敏」です。もっともっと「知覚」を研ぎ澄ませていきたいところですね。
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