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【compass-log】第3234号〜死の認識、観たくない現実に、背を向けることはできるけれども、逃れることはできない〜


志村さんに岡江さんに、有名な方も亡くなっていく。

看取れずに、声もかけられずに、触れられずに、顔もみられずに、収骨もできずに、ただ遺骨として小さな箱で帰宅するところを見ると、本人も遺族の方々も残念でならない。

小池さんも、

「この前までは、知人の知人の知人が感染くらいだったのに、少し前は知人の知人が感染、最近では知人が感染と、どんどん近くなって来ている」

と言っていた。

そんな中、あんまりテレビ観ないけど、金スマにYOSHIKI出るって聞いてつい観てしまった。

YOSHIKIの人生。

父の死、メンバー二人の死。

Xの創生と飛躍と終わりと再始動。

それ見て、人の儚い命と人生、死の認識が更に強くなった。

ネガティブになったわけでなく、現実にいつか起こりうる「死」というものを改めて認識した。

それは、100歳過ぎかもしれないし、30年後かもしれないし、一年後かもしれないし、明日かもしれない。

毎日、明日が当たり前にあるように眠るけれども、このところ、明日しっかり起きているのかとも思う。

いつか、目が覚めない朝がくる。

もう一度書くけれど、悲観的になっているわけではなく、現実を受け止めているだけ。

観たくない現実に、背を向けることはできるけれども、逃れることはできない。

今、生と死の認識に変化が起こるとき。

人は死を認識すると、より一層のチカラを発揮するらしい。

今ここから。

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