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【compass-log】第3078号〜「新聞配達」と「Connecting The Dots」と「私」〜


中学生の時、毎朝新聞配達をしていた話を書いたその続き。

よくよく考えてみたら、最低賃金以下で働いていたけれども笑、実によい経験をしたと思っている。

この新聞配達の話を書きだしたのには訳がある。

先日ある70代の方の講演を拝聴した際に、その方も「幼い頃に新聞配達をしていた」という話を聞いたからである。

その方も地方出身のようで、当時は家に鍵をかけることはほとんどなく、どの家も鍵が開いていて、近所の人が勝手に家に上がっていたり、お茶を自分で汲んで飲んでいたりした時代だったらしい。

確かに私の幼い頃も、地元では鍵をかけることはほぼなかったものである。ただ、勝手に上がってお茶を飲んでいた記憶はない笑。

新聞配達の話を聞いて「同じような経験をしているなぁ」と思ったのも束の間に、その方との大きな差を目の当たりにすることになる。

その方も新聞配達をしている際に、次第にお客様と仲よくなっていった。

本来であれば新聞配達は、新聞受けやポストに新聞を届ければよいし、中学生の私もそうしていたのだけれども、

その方は当時の世間もあり、お客様との距離も近くなったこともあり、「家の中まで入り居間のテーブルまで新聞を届けていた」とのことだった。

現在の世の中では、果たしてそれはよいのか個人の考え方が様々あるところだけれども、

当時ではその方が配達するどの家庭からも「わざわざ玄関や新聞受け、ポストまで新聞を取りに行かなくて助かる」と言われ大絶賛だったらしい。

時代もあるけれども、同じ新聞配達ひとつとっても、お客様に喜んで戴いたり、満足して戴いたりすることを考えれば、アイデアはいくらでもあるものである。

その話を聞いて「私も当時そうしていたらお客様にもっと喜んで戴いていたかな」なんて思い、「同じ新聞配達でも、働き方や考え方次第ではこうも結果が変わるのか」と考えさせられたものである。

仕事の工夫や、アイデアは考えれば考えるほどたくさん出るものである。

常に何を見て、何を思い、何をめざすかによって、世の中にはヒントは五万ともある。「我以外皆我師也」である。

この話を聞き、まだまだ考えるべきことややるべきことは無限にあると思ったとともに、

新聞配達の経験という過去の点は全くもって無駄ではなく、むしろとても有効に繋がっているものだと、「Connecting The Dots」を思ったところである。

感想、 フィードバック、コメント、話したいこと、聞きたいこと、叱咤、激励、批判、応援、クレームなどを戴けば幸いです。

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よろしくお願いします。


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