「時間の使い方」は「生き方」や「人生」とイコールである。
「何をして」「何をしないか」を決めることが重要である、ということを昨日書いた。
時間は、意識しなければあっという間に流れ去るものであり、適当に過ごしても、それなりの「実感」だけは残ってしまうものである。
例えば、目標や意志あっても、特にそれらがなくても、一日は24時間であり、目標や意志をもって過ごす一日と、そうでない一日もまた同じ同じ一日である。
問題なのは、人に言われたことをただこなしたり、何も考えずに生きていたりしても、その人にとっては「自分はがんばっている」とか「オレはやっている」という、少なからずの「実感」だけはあることだ。
朝起きて電車に乗り、ゲームやSNSをしながら通勤し、朝礼に出て、会議に出て、報告書を書き、商談や雑務をして、気づいたら終業時間。コンビニに寄って帰宅をして、家でテレビやSNSを見たり、ゲームをしたりして、夜遅くに就寝して、また朝起きて電車に乗っていく。
こんな生活でも、それなりの「生きている実感」だけは出てしまう。
けれども、先が明るくなるようなことは決してない。
意味のあることをしても、意味のないことをしても同じ一日であり、大切な人生は過ぎていく。
トマトの種を撒くからトマトを収穫できるのであり、マリーゴールドの種を撒くからマリーゴールドの花が咲くのである。
何も撒かずに何かを得ようと思っても、何も得られるはずがない。
意味のある時間の過ごし方も、
意味のない時間の過ごし方も、
どちらにつけ、過ごした「実感」だけは残る。
であれば、
どうせなら意味のある時間を過ごし、意味のある時間にしていきたいものである。
「時間の使い方」こそが、「生き方」や「人生」を決めていく。
時間の累積がイノチである。
時間の使い方、イノチの使い方。
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